こんにちはチャックです。
今回はビザンティン美術の解説です。
ビザンティン美術を楽しむキーワードはこちらです。
4~15世紀頃
様式化
モザイク
フレスコ画
強い感情表現
上記を理解すればビザンティン美術をより一層鑑賞できます。
それでは解説していきましょう
様式化とは?
デザインを重視した正面性、左右対称を強調することによって人間を超越したことを表現していました。そのため写実的ではありません
宮廷儀礼的なワケは?
ローマでは皇帝と神は等しく崇められてました。その名残で教会の中に皇帝の図が飾られています。
ビザンティン美術の全体像美術の全体像
コンスタンティヌス大帝によるコンスタンティノポリス還都によってローマ帝国は東西に分裂し、後に西ローマ帝国は滅亡します
6世紀頃になると東ローマは還都先でビザンティン帝国として勢力を増していきます
古代ペルシアでは皇帝を神として崇拝していたためその名残から皇帝は政治と宗教両方で最高権力者となりました。
ビザンティン美術はキリスト教とギリシャ、古代ペルシアの融合によって誕生しました。大きく分けて前期、中期、後期に分けられるので各時期を解説していきましょう
前期
6世紀のこの頃は第一次黄金期と言われておりユスティニアヌス大帝が皇帝として君臨してました。
首都に建設されたハギア・ソフィア大聖堂はバリシカ式と集中式の特徴両方を併せ持った教会堂です
この時代のモザイク画は宮廷儀礼的な雰囲気があり、人物像は正面向きで動きの表現はなく左右対称構図でとても様式化されていて精神的、超越的なビザンティン様式の特徴がうかがえます
イコン崇拝が高まり始めこの時期の作品は聖母子や聖人、象牙浮彫や羊皮紙に描かれた豪華な挿画入り写本が多いのも特徴です。
中期
フレスコ画が中心となった中期は金地背景に隈取りや縁取りによって鮮明でより豊かに力強い印象が特徴です
8~9世紀半ばにイコノクラスム(偶像破壊運動)で美術は一度衰退してしまいます
843年の宗教会議で偶像崇拝は肯定派が正統とされ再び美術は復興していきます
第二次黄金期マケドニア朝(867~1056年頃)神の在り方、神の描き方を常に気にするようになりポーズや教会のどこにどの図像を描くかも厳しく管理されました
制作者個人の表現は服のひだのみだったため、12世紀頃の作品はひだの表現に力が入った天使や聖人が多いです
後期
13世紀後半、パライオロゴス朝の頃に第三の黄金時代を迎えます。
この頃、古典的で写実的な神の姿が首都のコーラ修道院の改修時にフレスコ画で描かれ、セルビアのネレズィ修道院に描かれたマリアは感情表現が強く、パリ詩篇などの写本装飾にも擬古典的な人物表現で描かれました
かつて流行した服のひだはありません。それは美術は少しずつ画家の表現を受け入れ始めたということを表してました
東ローマ帝国滅亡後、ビザンティン美術はギリシャ正教の盛んな地域に残りました。ロシアのイコン画家とした最も有名なルブリョフはその継承者です
以上ビザンティン美術の解説でした
ビザンティン美術は美術表現が向上した時代です
当時の画家たちの思想などを考えてみましょう
成功者は他者や歴史上の成功や発展には必ず”なぜ?”と考えます
簡単なようで研究や追求は難しいです
しっかり身につけておきましょう
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